インテリアコーディネーターの資格を活かして、インテリアコーデだけでなく、発達障害・身体障害を持つ次男の育児経験による、お片づけ苦手を活かした整理術カウンセリングを行なっています。
また風水インテリアのルーティン化するアドバイスもお伝えしています。
今回は夫婦共働きで子育ての苦労した話 次女編 をお話しします。
令和の時代、夫婦で共働きしながら子どもを育てているご家庭が多くなりました。
しかも夫も妻もフルタイムで働いているライフスタイルが普通になっています。
筆者も子育て歴通算26年で4人の子どもを育ててきて、フルタイムで現役ワーキングママです。
●筆者の4人の子どもたち
第一子 長女26歳(会社勤務)
第二子 次女24歳(結婚して2児のママで共働き)
第三子 長男18歳(高校3年生)
第四子 次男16歳(高校1年生)
子育ても終盤期。
子どもたちも親離れし、親と一緒に行動することも少なくなりましたね。
筆者も親としての役目は、もうひと頑張りの時期になっています٩( ᐛ )و
働きながら25年以上子育てしてきて、楽しかったことも苦しかったことも 本当にたくさんの経験をしてきました。
そこで
筆者の子どもの一人一人にスポットを当て、エピソードも交えてお話ししていきます。
この回では、第二子である次女について語ろうと思います。
目次
生後9ヶ月でインフルエンザ脳症にかかったり小学1年で眼鏡をかける幼少女時代
次女は産まれてからよく鼻風邪をひき中耳炎を起こしていました。
しょっちゅう小児科で診察してもらってはお薬を飲ませたりすることが多かったのです。
そしてちょうど生後9ヶ月に入った冬、インフルエンザが流行して主人と長女と一緒にかかってしまいました。
次女だけは熱が40度以上上がったまま、9日間なかなか平熱に戻らず。
8日目の時は病院の医師から「万が一の時は覚悟をしてください」と言われました。
それが10日目にやっと熱が落ち始め、熱が上がって2週間後に平常に戻りました。
病院の医師は、高熱が9日も続いたので脳に障害が残るかもしれない、と言われましたが、幸いそれはならなかったようで、どんどん元気になっていきましたね。
診断は「インフルエンザ脳症の疑い」ということでしたが、これを境にわりと病気にかかることが少なくなり、姉弟で風邪など病気になっても次女は元気で過ごせることが多くなったような気がします。
また、幼少期から視力が落ち、小学校に入ってからの学校の視力検査でC判定(当時、裸眼視力が0.4以下がC判定だった)だったので、眼鏡を作って眼鏡をかけて学校に通うようになりました。
筆者はもっと低い年齢の時から目が悪く、小学校に入ってから0.1以下でビン底のようなレンズの眼鏡をかけていたので体質が似てるのかもしれませんね。。。。。
眼鏡をかけている小学生がまだまだ少ない頃、眼鏡をかけるのを嫌がっていた時があり、「もっと視力が落ちるから眼鏡をかけてほしい」と説得していた時期もありましたねぇ。
年少の頃から長女と一緒に空手道を習っていましたが、視力が悪いので眼鏡をかけて練習はするものの試合では出来ないため、結構苦労していたようです。
勉強嫌いな娘の三者懇談の進学の選択肢
視力が悪く、授業の黒板の字が見えにくかったのが起因して、だんだん勉強しなくなり、中学校に入る頃は立派に勉強嫌いになっていました。
いつもテストの成績は最下位に近く、塾に通わせた時期もありましたがそこでも成績は振るわず辞めてしまいました。
それでも中学校の部活は長女と一緒の剣道部に入部し、剣道初段の免状をいただけるくらいに成長しました。
学校ではちょっとしたイジメを受けたりしたこともありましたが、友達に恵まれ乗り越えることが出来、それなりに学校生活を過ごしていましたね。
自分の味方になってくれる友達の存在は1人でもいたら学生時代は楽しくなる
自分の味方になり、自分の気の合う人がいると学校に行くのが楽しくなりますよね。
どんな事態になっても味方になってくれる存在だからこそ本当の【友達】です。
さて、、、、、
親として頭を悩ましたのは、次女の高校進学の選択肢。
次女はあまりにも成績が悪いため公立高校の一般入試を受けられず(受けてもいいが不合格になる確率が高いため)、私立高校一本で一校に絞りました。
※ちなみに山口県は、特別なカリキュラムがある学校は別として、私立高校は滑り止めの意味合いが強く、やはり公立高校の進学率が高いです。
実は娘自身高校に進学するつもりが毛頭なく、働く気満々だったみたいですが、今のご時世、高卒の方が就職先の選択肢が多いので、夫も筆者も娘を説得して高校受験をさせました。
娘は全く焦ることがなく、淡々としていましたね汗
ほとんど勉強することなく、受験を申し込んだ私立高校へ受けに行きましたけど汗汗汗
「落ちたらゴメンねー♫」と呑気に言っていましたし。
(夫も筆者もこのセリフを聞いた瞬間、血の気が引きました。。。。。)
そんなお気楽な娘でしたが、高校の合格通知書が届いた時はすごく喜んでいましたよー!!
勉強嫌いでお気楽で高校受験も真剣に考えていなかった次女ですけど、やはり「合格」となると今までの自分の言ってきたセリフが嘘だったんじゃないかと思うくらい有頂天になるみたいですね(^_^)
おかげさまで、高校3年間は休まずキチンと通ってくれました。
親としてはホッとしてます。
では進学した私立高校では商業科だったので、高校3年の就活はどうだったかと言いますと。。。
意外とスムーズに就職先が決まったんです。
高校の成績は相変わらず最下位に近かったのですが、資格取得が決め手になっていたようです。
○中学校では剣道初段
○高校では、
電算1級
簿記3級
・・・など色々と取得
学校の成績は全くダメだったけど、資格が取れてるというのは素晴らしい才能の一つではないかと親として思いました。
何か熱中して取ろうとする気がなければなかなか為し得ないことだと感じましたね。
その後1回転職して、今は別の会社で正社員として働いています。
20歳で結婚・出産・育児で親の苦労を知る
娘は中学校時代からお付き合いしてきた人と20歳で結婚しました。
結婚の報告は、ホントにサラッと「この人と結婚するからヨロシク〜」と言って、婚姻届の用紙を持ってきたんです。
しかも夫に「保証人に名前書いて」と急かされて、夫が名前を書いたらサッサと帰路へ。
報告自体の時間は、正味30分くらいだったでしょうか。
夫と筆者は、ポカーンとした表情だったのを今でも覚えています。
スーツなどの正装で時間を開けて結婚報告を聞く・・・とかいうのはドラマの話で、実際はこんなものかもしれないなぁと思いました。
結婚式を挙げず入籍だけ済ましていましたが、最初の子どもが産まれた後、夫婦で記念写真を撮ってもらうようにしていました。
やはり写真は記念になりますから、親としてホッとしましたね。
今現在、息子2人の母となり、育児休暇から職場復帰して共働きし、今年戸建て住宅も建てて、家族水入らずで暮らしています。
次女の学生時代は、勉強嫌いもありますが、彼氏(今のお婿さん)や友達と夜遅くまで遊びに行ったり授業をサボったりするなど、ヤンチャな時期がありました。
でも結婚して出産して親となってからは、親の苦労や心配が理解できるようになったらしく、一緒に夕ご飯を食べに連れて行ってくれたり、夫と筆者のそれぞれの誕生日にはプレゼントをくれたりなど、気にかけてくれるようになりましたね。
たぶん地元に就職し、地元で働き暮らしているので、親孝行をしてくれるのかもしれません。
私たち夫婦に孫の顔を見せに我が家に時々遊びに来てくれるので嬉しい限りです。
これが子育ての終着点としての醍醐味ですね。
●筆者の子育てで4人の子供たちのエピソードを紹介しています。