インテリアコーディネーターの資格を活かして、インテリアコーデだけでなく、発達障害・身体障害を持つ次男の育児経験による、お片づけ苦手を活かした整理術カウンセリングを行なっています。
また風水インテリアのルーティン化するアドバイスもお伝えしています。
今回は発達障害と身体障害を持つ次男とのポジティブな生活の軌跡をお話します。
今の時代、「発達障害」の言葉がわりと知られるようになってきていますし、ご自身やお子さんがそういう障害であることをオープンにしてらっしゃる方も見られるようになりました。
筆者の次男もSNSでオープンにしています。
そして次男自身も、自分が障害を持っていることを理解しています。
しかし自分が、またはお子さんが「発達障害」であることを周囲に公表していない方や親御さんはまだたくさんいらっしゃいます。
周囲に言えないだけに、さまざまな悩みに直面している方は実に多いのです。
そこで、筆者の次男を見てきた、現状での経験をもとに記事に書いていきます。
「発達障害」や「身体障害」を持つ方々が、この記事を読むことで少しでもお役に立てることが出来たら嬉しいです。
目次
次男の簡単プロフィール
筆者の次男は、4人の子どもたちの中で末っ子。
2021年春に高校生になりました。
一般企業の就職を目指せる科がある支援学校に通っています。
脊椎脂肪腫
神経因性膀胱
自閉スペクトラム症(発達障害)
この4つの障害を持っています。
また療育手帳B級、身体障害者4級の手帳を所持しています。
幼少期は、当時から夫も筆者も共働きですので、保育園と療育施設の両方をそれぞれ週3日ずつ通っていました。
その上、大学病院での定期検査や療育施設での定期検査もあったので、働きながらこれらをこなすのはとても大変でしたね。。。
小学校・中学校では地元の公立校で、その学校に設置されている特別支援学級に在籍し、勉強など普通学級と行き来しながら学校生活を過ごしました。
中学校では卓球部に在籍していました。
次男は部活に入るのを熱望していて、大学病院の主治医にどの部だったら入部の許可が出るか、よく問い合わせていましたね。
それで許可されたのが卓球部だったのです。
中学3年の時の引退試合で、市内大会Bチーム学年3位になり、素晴らしい成長を見せてくれました。
今は高校生として、結構授業内容はついていくのが大変らしいのですが、コツコツこなしているようです。
部活(支援学校では課外活動の一種)は陸上部に入りました。
マイペースで走るのを楽しんでいるみたいです。
将来はグラフィックデザイナーだそうで、是非現実化して欲しいですね❗️
次男が持つ脊椎脂肪腫と神経因性膀胱との闘い
「脊椎脂肪腫」と診断されたのは、生後4ヶ月の時。
脊椎脂肪腫は二分脊椎症の一つで、下肢神経に影響を及ぼし、車イス生活になる可能性がある病気です。
生後8ヶ月と10歳の時に大学病院で手術を受けました。
脊椎の病気なので、下肢神経に異常が出る場合が多く、手術をしても歩行障害が出るかもしれないと診断されていました。
ありがたいことに、成長期である13歳を境に定期検査ごとに歩行障害の可能性が低くなり、16歳の今は普通に歩くことが出来ています。
ただ大学病院にて脊椎脂肪腫で二回目の手術をして2年後の検査で、脊椎脂肪腫が起因の神経因性膀胱である診断され、自己導尿をすることになりました。
翌春には腎盂炎にかかり入院。
手術や入院したこの当時、次男はまだ小学生で入院中24時間の付き添いが必要なので、夫も筆者も会社に介護申請(付き添いが必要な人は会社に申請でき、有給扱いになる)をし、すでに社会人になっていた娘たちにも協力してもらい、交代当番制で行ないました。
この時は精神的にも肉体的にも疲れがハンパなくすごく大変でした💦
ある程度休みは確保しましたが、1週間以上夫も筆者も会社を休みにくいので、家族交代で毎日病院に行って付き添いをしながら仕事をする、という超ハードな数週間を過ごしました。
4年後となる現在も二回目の腎盂炎で入院。
3週間くらい学校をお休みします。
今回は高校生になり、次男も入院慣れしているからか、「ボク一人で病室に過ごせるから昼間は良いよ」と言ってくれました。
おかげで、仕事が終わった夜に付き添いで息子に会いに行っています。
次男自身、入院したことで私たちに気を使ってくれているのでしょう。
ある意味、素晴らしい成長だと思っています。
(今は退院しています(⌒▽⌒))
「障害」は親も子も大きな転機になる存在
次男が身体障害だけでなく、2歳時に「発達障害」と診断されてから、筆者に大きな転機がありました。
当時在籍していた保育園側から次男の転園を余儀なくされ、期限も2ヶ月後には次の受け入れてもらう保育園を探さないといけない、という夫婦共働きの私たちにとっては過酷な通告でした。
在籍していた保育園が次男を預かれない理由は、「別途支援補助員を雇うだけの財源がない」というもの。
保育園を含む学校は、発達障害など障害がある子どもを預かる場合、法律で預かる人数に合わせた支援補助員を置く必要があります。
ちなみに今現在では市政に伝えれば支援補助員は確保できるそうですが、今から10年以上前の当時、保育園側は色々と難しい事情があったようです。
そうは言っても夫も筆者も驚きとショックでしかなく、頭の中が真っ白になりました。
が、時間も日にちも待ってはくれません。
時期は秋。
在籍している保育園が転園を通告している以上、仕方がないので市役所の保育園申請の課に入園依頼をしましたが、なかなか受け入れ先が見つかりませんでした。
私たちが困り果てていた1ヶ月後に連絡がありました。
なんと上2人の娘が卒園した保育園の園長先生からでした❗️
「支援補助員としての保育士がいますから、あなたの息子さんをわが園に連れていらっしゃい。お待ちしてますよ」
今思い出しても泣けるくらい、とても温かい言葉をいただきました。
筆者は勤務体形から転職せざるを得ませんでしたが、なんとか職が決まり、ホッと安心したのは言うまでもありません。
これが最初の障害のある次男と私たち親が受けた、かなり辛い体験でした。
このこと以外にも、小学校では心ない言葉で冷やかされたり、中学校では部活で1年生の前半は仲間に入れてもらえず一人でいたり、色々と寂しい体験もしてきました。
でも次男や家族で立ち向かって乗り越えてきて今があります。
たしかに次男は理不尽なことは受けてきて、相手を恨みたくなった時期もありましたが、その度に親の私たちは精神的に鍛えられました。
障害者であることを周囲に認知してもらうには、私たちも次男も乗り越えるメンタルを持つことも必要です。
そして障害者である次男も認識し、行動していくことも大切ですね。
障害を持つ次男が向かう未来とは
次男が「発達障害」があること、「身体障害」があることを認識しているので、今高校生になってからは3年後には社会人として世の中と共存していく意識を持つことを親として筆者は伝えています。
次男が高校3年間で意識していく内容(社会に共存するために)
○障害があることを認識した上で、それに甘えず、日常生活においても会社に勤めていても自分で出来るかぎりは自分でやること
○人間関係は円滑につながっていけるよう、自分も聞く耳を持ち、良いことも辛かったことも全て経験として人生の役に立つように行動すること
○家族やきょうだいとしっかり交流を深めていくこと
次男には「共存」をキーワードにさまざまな経験を得て生きていって欲しいと願っています。
そして
【人生を楽しむための目標を持つこと】
これが重要だと思っています。
そのためには
▷なりたい職業
▷1年後、5年後、10年後の自分の未来設計図
上記の内容を次男自身で立ててもらおうと筆者は考えています。
そうすることで、3年後、高校3年生の時就活で役立つと思います。
自分で立てた未来設計図を実行するのは、【自分】しかいないから^_^
うちの次男も今の逆境に負けず前を向いて進んで欲しいですね❗️
障害のある方々にこの記事が少しだけでもお役に立てるのであれば嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。